スモールサンニュース山口恵里の”現場に行く!”

第43回 三恵メリヤス株式会社


皆さん、ご無沙汰しております!スモールサン事務局の山口恵里です。
半年ぶりの「山口恵里の“現場に行く!”」第43回は、大阪市北区中崎にある三恵メリヤス株式会社 常務取締役の三木健氏にお話をお聞きしました!

大正15年創業、メリヤス生地を使った肌着や体操服に始まり、昔ながらの技術でスウェットやTシャツなどの製造をする縫製工場の三恵メリヤス株式会社。
現在同社が手掛けるフラッグシップブランドは、「人生で最高の一枚を」というコンセプトのもと作られた、なんと一枚一万円のTシャツ専門ブランド!しかしそれはただのハイブランドというだけではありません。最高の品質はもちろん、紡績から縫製まで“大阪製”にこだわった、まさに「究極の一枚」なのです。

自社製品によるブランド作り、そしてそのフラッグシップブランドに込められた想いや、「最高」そして「大阪製」にこだわる理由に迫ります!
皆さん、ご期待ください!


【会社概要】
名称 :三恵メリヤス株式会社
所在地:〒530-0015 大阪府大阪市北区中崎西2-3-28
代表取締役:三木 得生
常務取締役:三木 健
Tシャツ専門ブランド『EIJI』:https://eiji-o.jp/
『ダブルワークス』:https://dubbleworks.jp/
『サンテテ』:https://saintete.jp/


一枚一万円のTシャツ!“人生で最高の一枚”『EIJI』
~紡績から縫製まで全てにこだわりぬいた大阪製~



山口 一枚一万円という価格も話題になったTシャツ専門ブランド『EIJI』。その価格も驚きなのですが、まずはどういったTシャツなのか教えてください。

三木 「人生で最高の一枚を」というコンセプトを掲げて開発したTシャツで、一般的に「何がプリントされているか」が重要なTシャツ市場の中で、着心地をとことん追求し、こだわり抜いた最高の素材、何百年も継承されてきた職人の技術、製造に関わる全ての人の想いや歴史、さらに着る人の体型に本当にあったTシャツを選んでもらうというこれまでにない全く新しいTシャツです。

山口 具体的にどういったこだわりで作られているのでしょう?

三木 世界のオーガニックコットンの生産量の内、わずか0.03%という究極のオーガニックコットン、アルティメイトピマを100%使用しています。さらに一般的なTシャツで使用される糸は30番手という太さなのですが、『EIJI』のTシャツは80番手という非常に細くて長いものを使用し、さらに40ゲージという通常では考えられない密度でふんだんに糸を編み込んでいます。もちろん縫製にもこだわり、一般的なTシャツは両脇に縫い目がありますが、『EIJI』では背中縫製という方法をとることで縫い目を減らして肌に触れないように配慮しています。

山口 聞いているだけで気持ちよさそうです…!


三木 また、サイズは本当に体型にあったものを着ていただくために、サイズチャートから着丈と身幅のサイズを自由に選んでいただけるパターンオーダーと、着丈・袖丈・身幅・肩幅の全てを自由に選んでいただけるフルオーダーが可能で、どんな体型の方にもフィットするTシャツをお作りすることができます。

山口 注文票を拝見すると、各部位の長さだけでなく「いかり肩」といった細かい指定まで対応されているんですね。

三木 細部にまで徹底的にこだわることで、なめらかな肌触りとふわっと軽い着心地で、着れば着るほど肌に馴染むのが『EIJI』の特徴です。そして、繊維産業は紡績から編み、染め、縫製と分業体制で、縫製だけでも日本で行っていれば「日本製」と謳える中、当社で縫製を行うのは勿論、紡績から全てを“日本一の繊維の街”ここ大阪で行っている「大阪製」なんですよ。

山口 まさに正真正銘の“究極の一枚”ですね!



肌着から体操服、スウェット、そしてカジュアル衣料へ


山口 三恵メリヤスでは創業からこういったTシャツを製造されていたんですか?

三木 いえ、当社は私の曽祖父が創業者なのですが、当時は例えばボタンホールだけを縫うといった特殊ミシンの外注の加工から始まったようです。そこから仕事が増えるとともにミシンの数を増やして、下請けで東南アジア向けの輸出用の肌着を作るようになり、そこから更に体操服を作るようになりました。いわゆる学販ですね。

山口 もともとカジュアル衣料を作られていた訳ではないんですね。

三木 そうなんです。ただ、体操服ではこの辺で有名な学校はある程度当社で押さえることができたのですが、そもそも学販は需要の波が大きいんですよね。ピークの4月に向けて死ぬほど忙しくなる一方、納品したら今度は一気に暇になってしまう。そこで現社長の父が年中必要とされる服を作っていこうということで、スポーツ用品メーカーの下請けでスウェットの製造を始めました。

山口 なるほど、体操服を作っていた技術を活かしてスポーツウェアへ。

三木 ただ、それでボリュームは増えたのですが、スウェットも冬のピークが決まっていますのでやっぱり儲からない。それでカジュアルアウターのOEMの受注を受け始めたのですが、これもいくら工場の仕事が増えても全然儲からず、悩ましい状況は変わりませんでした。

山口 仕事の量と儲けは必ずしも比例しないですからね……。

“昔ながらの縫製技術”でヴィンテージの復刻

三木 決まった生地を渡されて「こういう風に縫っといて」では、結局のところ一縫いいくらの賃加工なんですよね。それで、そこから少しずつ企画製造に移っていきました。特に副社長が元々洋服好きで、布の産地へ行ってどうやって編んだら面白いものができるかとか、糸を作る紡績の会社へ行ってこういう糸を作ったらこんな服が作れるといったことをやり始めて、それが見事にハマったのがヴィンテージの復刻でした。

山口 ヴィンテージというと?

三木 もともと当社の縫製には特徴があって、それが昔ながらの作り方なんです。今の洋服は前身頃と後身頃があって、両脇に縫い目がある縫製が一般的ですよね。ところが、昔は筒状に編んだ生地をそのまま胴体部にするのが一般的な製法だったんですよ。そうすることで縫製箇所が少なく済むので、肌への当たりも少ないし生産効率も良いんですが、一方で反物ではなく筒状の生地を各サイズでストックしなくてはいけないという大きなデメリットもあり、現在ではこの縫製方法をとるところは少なくなってしまいました。

山口 なるほど、三恵メリヤスでは昔ながらの縫製技術を守り続けていたんですね。

三木 その昔ながらの縫製を重宝してもらえたのがデニムメーカーさんだったんです。デニムってリーバイスとかのヴィンテージモデルを復刻して作るでしょう。それなのに上半身だけ現代のものではストーリーが合わないので、デニムに合わせてスウェットやTシャツもその時代に着られていたものと同じ作り方をしたいというわけです。

山口 それでヴィンテージの復刻なんですね!

三木 本当に当時の古着を持ってきて、「こういうのを再現して欲しい」と言われるんですよ。そうすると、一つの製品に対して、糸を作って、布を作って、それをその形にして納めるということができます。しかもそれは当社でしかできないことですから、これを縫っていくらの賃加工から、一つの製品に対する利益率も大きく上がり、当社の大きな転換点になりました。

ファクトリーブランドで自社の技術を活かした企画力を磨く!

三木 ただ、それで利幅は改善されたものの、シーズンがあって受注に波があるのは同じなんですよ。春夏と秋冬で、年に2回大きな波がある。それで、それを何とかしたいと考えて始めたのが、ファクトリーブランドでした。

山口 『EIJI』を始める前から、自社ブランドを作っていたんですね。


三木 これもきっかけがありまして、2005年に大阪府が行った中小繊維製造事業者自立事業というものがあり、それに参加をしたんです。大阪府が音頭をとって繊維製造業の自社製品開発を後押しするというもので、そこで『サンテテ』という自社ブランドを開発しました。受注の波がある中、空いている時期に作って売れるように、どのシーズンに誰が着ても大丈夫という定番品の自社ブランドです。

山口 確かに、シンプルでカジュアルな着やすいデザインですね。


三木 また、その後2012年に、付き合いのあったデニムメーカーさんが、何個かあるブランドの中でメインブランドと差を出しにくくなってきたというスウェットやTシャツ中心のブランドをやめるということで、これも父が「それならうちで引き取りますよ」ということでそのブランドを買い取りました。『ダブルワークス』というブランドで、デニムはその後もそこで作ってもらいながら、上に着るTシャツやスウェットなどを当社で製造しています。

山口 なるほど、こちらはヴィンテージの復刻からの流れで、アメリカンカジュアルのブランドですね。こうしたブランド作りの中で、自社の強みを生かした製品の企画力も培ってこられたんですね。

技術はあるのに知られていない=チャンス!
~「それを世に知らせるのが自分の仕事なんだ」~

山口 ところで、三木さんはいつ頃ご入社されたんですか?

三木 私が戻ったのは遅くて、2014年のことです。実は大学生の頃に、海外の学校と留学したい学生をマッチングさせる事業で仲間と起業していまして、卒業後はずっと海外にいたんですよ。日本国内だけでやっている時は鳴かず飛ばずでしたが、海外に拠点を置いてからはとても順調で、私自身もそのまま海外から戻ってくるつもりはありませんでした。

山口 家業を継がれるつもりもなく、海外でご自身の会社をやってらしたんですか。どういうきっかけで戻ってくることになったんですか?

三木 父が入院した時に、このままだと会社が止まってしまうと声をかけられたんです。それでも業績自体は悪くありませんでしたので、何とかそのまま頑張ってほしいと一年半くらいは引き延ばしました。やはり一緒に創業して共にやってきた仲間との会社を離れる決断はなかなか……。でも、それって逆に言えば、私が辞めても仲間との会社は支えてくれる人がいるということなんですよね。それに、何より自分が大学へ行けたのは、家業の会社があったからです。非常に悩みましたが、やはり家業を継ぐという決断をしました。

山口 大変な決断でしたね。それに完全な異業種からの入社ですし、そういう意味でも大変だったんじゃないですか?

三木 そうですね。でも、戻ってきて初日に驚いたんですよ。「こんなにこだわって服を作ってるのか」と。例えば、スウェットの袖口のリブって、通常は縫い目があってチクチクしたりするでしょう。でも当社のスウェットのリブは、化学繊維ではなく起毛させたオーガニックコットンを筒状のまま縫製しているので、縫い目もなくシームレスで肌触りも気持ちいいんです。こんなにこだわって服を作ってる、なのに全然世の中に知られてないんですよ。それを初日に知って、私は「むっちゃチャンスやな」って思ったんです。

山口 逆に知られていないことがチャンスだと。

三木 確かな技術があり、こだわったモノづくりができている。ということは、それを世に知らせるのが自分の仕事なんだ。当分の間やれることがあるなと思いましたね。

自分たちの“フラッグシップブランド”を作る!
~完全分業制の中、縮小していく繊維産業~

山口 それまで培ってきた技術やこだわりはある、ただそれを発信できていなかったからこそ、そこに大きな伸びしろを感じたと。そうして着手されたのが『EIJI』なんですか?

三木 いえ、最初は『サンテテ』や『ダブルワークス』を海外に売ろうとし始めたんですよ。陸上で言うと、会社のみんなが同じトラックで走っているところに急に入って行って、いきなりその方向を変えるようなことをしてはいけないという思いもあって、ゆっくり入っていきながら同じトラックの内側と外側みたいにみんなが走っていないコースを走ろうかなと思っていて。ただ、その中で“フラッグシップ”になるものは必要だなと感じていました。

山口 既存のブランドとは別に、自分たちの旗印になるようなものですか。

三木 そうです。というのも、私が入社する直前にそれまでずっと取り引きのあった染色工場がつぶれてしまったんです。それでまたすぐ近くにある別の染色工場にお願いしたのですが、その三ヶ月後ぐらいにボイラーが壊れてしまったんです。新しいボイラーを入れるには一千万単位の再投資になりますから、結局そこも廃業してしまいました。これはマズいと急きょ商社さんに埼玉の染色工場を紹介してもらったのですが、今度はそこの倉庫でボヤが出てしまい、水浸しになってしまったからということでそこも廃業しまったんです。発展している地域なら、今から工場に再投資するより、マンションでも建ててしまった方がいいんですよね……。また、うちはまだ都心ですが、田舎でも近くに大型商業施設なんかができちゃうと、働き手がそちらに流れてしまって工場がつぶれるというケースもあるんですよ。

山口 厳しい現実ですね……。

三木 繊維産業は完全分業制で成り立っているので、その中のどれか一つでも途切れたら製品が作れません。中でも染色は設備投資も大きいですし、排水などの問題もあって、私たちの認識では一番大変な状況だと思っています。でも、今お話ししたどの工場も、今後も仕事をもらえるという見込みさえあれば続けられたはずなんですよ。分業の中でどれだけ良い仕事をしても、その工場の名前は世の中には出ないじゃないですか。誰かが「あの染め良かったな」と思っても誰が作っているか分からない。結局消費者に近いところでその製品やブランドを使わないと判断されてしまえば、それで仕事は無くなってしまう。そもそも、それが間違っているんだと思ったんです。

山口 なるほど、それでフラッグシップが必要だと。

三木 かといって、じゃあ「一致団結して皆でブランドを作ろう!」とやっても、それは100%失敗すると思っていました。責任の所在が曖昧になりますし、費用をどうするかとか揉めるもとでしょう。あくまでも三恵メリヤスのプロジェクトとして、かつ、製造にかかわる工場を「ここが作っているから価値がある」と前に出していかない限り駄目なんだと決意しました。



「最高の一枚」が、携わる工場を世の中に発信する!
~素人でも着た瞬間に違いが分かるTシャツを~


山口 そうして作られたのが、“大阪製”であることにもこだわった究極のTシャツブランド『EIJI』だったんですね。

三木 そうです。『EIJI』を今後もずっと続けていくのは大前提ですが、百発百中でブランドをあてられるとは思っていないですし、当然討ち死にする可能性だってあります。万が一そうなった時にも、「あのTシャツの染めキレイだったな」「あの生地すごく気持ち良かった」と思った人がその工場に声を掛けられるように、『EIJI』では大正紡績で糸を紡いで橘織物で製織し、飯田繊工で染められた生地が白鳩メリヤスで裁断され、私たち三恵メリヤスが縫製してと全て書いてあります。

山口 『EIJI』のTシャツが最高であることが、そこに関わる工場の“旗印”になっているんですね。

三木 そのためにも、私自身が素人だったというのもありますが、「素人でも着た瞬間に違いが分かる」ということに徹底的にこだわりました。オーガニックコットンで有名なところのものは全部集めて、糸にするにも何番手の太さが良いのか20、40、60、80、100と編んでもらって試作しています。それでTシャツでは一般的に30番手が使用される中、より細くて長い80番手が良いなと。でも、それだけ細いと通常のゲージで編むとどれも透けてしまうので、わざわざ新しい装置に換えてもらって通常では殆ど使われない40ゲージという密度で編んでもらっています。また、編み方も通常Tシャツでは天竺という編み方なんですが、これって表はつやつやなんですが裏はざらざらなんですよね。なので、通常は肌着で使われる両面が表のスムース編みにしてもらいました。通常だとスケスケで伸びる肌着っぽくなるところ、高密度にぎゅーっと編むことでTシャツに持っていったのがEIJIの特徴なんです。

山口 こだわれるところ全てにこだわり抜いていますね!

三木 とにかく全部試しましたね。それまでの経験で「これが最高だろう」というものではなく、全部着て全部比べて、その上で「これが最高です」と言い切れるものにしようと思ったんです。これは私自身が入社して間もなかったため業界の常識感がなく、怖いものがなかったというのも良かったと思います。

山口 確かにその業界に馴染んでいると、実際の着心地の良さよりも「スムース編みだと肌着だと思われてしまう」と迷いが前に出てしまうかもしれないですね。業界の常識にとらわれなかったからこそ、「最高」と言い切れるものができたんですね。

常にアンテナを張り「今だから注目してもらえる」ことを
~助成金で製品開発、クラウドファンディングでの発信~

山口 とはいえ、そこまで試作にこだわると、費用の方もかなり掛かりますよね。

三木 もちろんです。なので、当時おおさか地域創造ファンド重点プロジェクトという製品開発に対する助成金があったので、それに応募したところ運よく受かったため活用することができました。正直この助成金がなかったら、ここまでこだわり抜いたものは作れなかったでしょうね。『EIJI』のプロジェクト自体が数年遅れていたと思いますから、見つけることができて本当に良かったです。

山口 そういったアンテナを常に張っているのも大事ですね。

三木 ただ、この助成金はあくまでも製品開発だけなので、マーケティングにはお金を使っちゃダメなんです。なので、2年かけて製品開発をして、いざブランドをデビューさせる時にはクラウドファンディングでブーストさせました。現在はもうクラウドファンディングも厳しくなっていますが、当時はまだ話題性がありましたから。

山口 アンテナを張っているからこそ、適切なタイミングでチャンスを掴むことができるんだと思います。

三木 また、その助成金ではマーケティングはダメだけど展示会までは出していいと言われていましたので、ちょうどその年にオーガニック系のスペースを作ったギフトショーに出展しました。本当にラッキーでとても良いブースをいただけたので、喫茶店みたいなブースにしました。

山口 Tシャツなのに喫茶店ですか?

三木 Tシャツを売る時に、多くの人は素材の綿にこだわって売ったりはしないじゃないですか。だけどコーヒーを飲む時は、どこのコーヒー豆でどういう風に淹れてとかこだわりますよね。それでブース全体を茶色で統一して、エスプレッソマシンを置いてエスプレッソ出したりとかして。「オーガニックコーヒー屋さんですか?」「いいえ、実はオーガニックコットンのTシャツで」っていう。要はコーヒー豆にこだわるように綿にもこだわってほしいという意図で、場所も良かったおかげでとてもたくさんの人がブースに来てくれましたね。

山口 面白いアイデアですね!

三木 やっぱり「今だから注目してもらえる」ということをやらないと駄目ですね。

『EIJI』を旗印に地域に埋もれる「最高のもの」を世の中へ!


山口 反響は上々ですね。

三木 おかげさまで先日も朝日新聞に掲載いただいて、たくさん問い合わせをいただきました。自社販売の他でも、松屋銀座さんにあるベーシックでデザイン的にも優れた長く使える良いものだけを展示しているデザインコレクションというブースで声を掛けていただけたり、東京大阪に浜松、北海道、海外など7店舗ぐらいに卸しています。

山口 明確なコンセプトを、時流を読んで正しく発信できている成果ですね!

三木 おかげさまで『EIJI』とは全く違うところでお声かけもいただくようになりました。大きいところですと、富岡製糸場さんが今年オープンする美術館で当時の女工さんが着ていた服を復刻できませんかという相談をいただきました。また、『EIJI』をきっかけに、40ゲージで編んでくれている橘織物さんに電話があったりもするんですよ。

山口 素晴らしいですね!

三木 それでこそ『EIJI』に参加してもらった価値があるし、ちゃんと恩返しできていることになるので本当に良かったです。

山口 最後に今後のビジョンなどはありますか?

三木 これはまだ理想の段階ですが、こだわって作っているけど地域で埋もれてしまっている最高のものってたくさんありますので、それを『EIJI』で紹介していくことができればと思っています。『EIJI』が勧める良いものも着てみたい、使ってみたいという風に拡げていくことができれば、『EIJI』にとってももう一つの収益の柱としてやっていけるのではないかと思っています。

山口 『EIJI』がそこに関わる工場の名前を世の中に出していくように、さらに一歩進んで地域の「最高のもの」も世の中に出していけたらすごくワクワクしますね!本日はありがとうございました!


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