スモールサンニュース山口恵里の”現場に行く!”

萩原直哉の“スロー・トーク”
「世帯年収60万円からの脱出!
 ~絶対的貧困体験から学ぶ中小企業経営の『勝ち筋』~」


皆さんは「サバイバー」という言葉を知っていますか?
「サバイバー」とは、生存者や逆境に負けない人といった意味を持ち、貧困や虐待など恵まれない家庭環境に育ちながらその逆境を生き抜いて成人し、定職につき社会人として生活できている人を指して使われることのある言葉です。
「相対的貧困率」や「子どもの貧困率」が増加し続けている中、豊かな国といわれた日本も今では貧困が社会的な問題となっています。

こういった日本の貧困問題を耳にして、「自分の会社やビジネスとは関係ないな」と思ったりしていませんか?

不遇な環境を生き残るために必要なものとは何か?
それは、現代の厳しい経営環境を生き抜かなくてはいけない中小企業経営者にとっても同じく必要なものと言えるでしょう。

そして、1985年には12%だった相対的貧困は2018年では15.4%に、子どもの貧困率は10.9%から13.5%に上昇しています。また、大学生の2.7人に1人が日本学生支援機構の貸与奨学金を受給していて、彼らの多くは後の返済への不安を感じていると言います。
こうした現状は、漠然と日本は豊かだという意識でいては目に見えないものですが、地域の雇用を支える中小企業が今後も会社を存続させていくためには、見えないままでは済まないでしょう。

スモールサンインターネットラジオ『萩原直哉の“スロー・トーク”』では、これまでも日本の貧困問題を重要なテーマとして複数回にわたって取り上げてきました。
そして、5月に配信された回では、スモールサンの代表取締役社長であり、実際に貧困という逆境を生き抜いてきたサバイバーである大澤徳(おおさわ あきら)が出演し、自身がどのようにサバイブしてきたのかを語っています。
今月はそのダイジェストをお届けしたいと思います。
まだお聞きになっていない方は、ぜひラジオの本編もお聞きくださいませ。

【出演者】
ゲスト (株)中小企業サポートネットワーク 大澤徳
パーソナリティ 株式会社オプティアス 萩原直哉氏
アシスタント 声優 水世晶己氏


「相対的貧困」とは、その国の等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人員の平方根で割って調整した所得)の中央値の半分に満たない世帯。日本では中央値が245万円なので、その半分の122万円未満の世帯が該当する(2015年時点)。
「子どもの貧困率」は、18歳未満の子ども全体に占める相対的貧困の状態にある子どもの割合。

貧困という逆境を生き残ったサバイバー

萩原 大澤さんとは、大学生のときぐらいから、かれこれ10年ですか。

大澤 スモールサン(の設立)が2008年で、私が大学入学したのも2008年なので、萩原さんにお会いしたのは私が大学4年生ぐらいの頃かな。ちょうど10年ぐらい前だと思います。

萩原 大学をご卒業されたのは。

大澤 卒業は2013年の秋ですね。

水世 う、う、うん?

萩原 4年じゃないってことね。

大澤 はい。それは、いろいろありまして。

萩原 このね、「いろいろ」あたりが大澤さんの隠し味というか。今回お話を聞こうと思ったのは、大澤さんはスモールサンの仕事で本当に様々な中小企業の社長とお話しているし、様々な中小企業の取り組みを見ているんですよね。そういう話をちょっと聞けないかなというのが、最初だったんですけど。その生い立ちがですね、今日のタイトルみんな見て、これ。世帯年収が60万円ですよ。世帯月収じゃないですよ。これ、本当?

大澤 はい、本当です。(出身が)青森なので、年収が低い地域というのもあって、さらにその中でも貧しいところ出身なので。

萩原 この番組では、わりと相対的貧困とか取り上げてきたけど、相対どころじゃないんだよ。絶対的なところで。東京の有名な六大学、しかも私立大学をご卒業されている方が、実はそういう生い立ちだというのが衝撃的でですね。そういうの「サバイバー」って言うの?

大澤 そうですね。貧困だったり、母子家庭や父子家庭だったり、虐待だったり、そういった恵まれない環境の中から、大学まで行って社会人になって定職にちゃんと就いている人のことをサバイバーって言うらしいです。福祉の分野の方から、1,000人とか1,500人に1人ぐらいしか、そうやって不遇な環境の中からちゃんとした社会人になっていないっていう話を聞いたことがあります。

水世 え! 1,500?

萩原 ちょっとすごくないですか。だから最初は単純に中小企業の社長さんの面白い事例の話を聞けないかと思ったんだけど、今回はそういう超逆境から生き抜く術を大澤さんに教えてもらえないかなっていう方向でお話聞いてみたいと思います。

現代で起きている貧困

水世 それでは、大澤さんの幼少期を含めた半生をまずはお伺いしたいのですが。

大澤 オープニングでもお話させていただきました通り、だいたい世帯年収が60万から70万ぐらいでした。

萩原 月収5万円ってことでしょう?

大澤 そうです。5万とか6万とかの生活でやっていました。当然、住民税も非課税の世帯ですし、修学旅行だったり、給食費だったりも公的な扶助に頼って生活するような家でした。

水世 失礼ですが、何年前ぐらいのお話ですか?

大澤 いま私が32歳で、当時小学生ぐらいだったので、だいたい25、6年ぐらい前です。90年代半ばとか後半ぐらいですかね。

萩原 そんな最近の話か。周りの友達もそういう状況なんですか。

大澤 団地暮らしでしたので、わりと所得が低い人はいたと思いますけども、普通のご家庭の方も当然いらっしゃるので、友達が持っているものを見て「うちには無いものだ」と感じたりしていましたね。

萩原 これ原稿にコートって書いてあるんだけど……。

大澤 私出身が青森で、当時は北海道に住んでいまして、当然寒いので周りの友達は暖かいコートを持っているんだけど私は持っていなくて、寒いので走って学校に通ったりしていました。あと、今の時期(5月)ぐらいになると、スーパーにある洋服屋さんみたいなところで200円とか300円で売っているようなコートを買って、次の年の冬に着るみたいな努力をしたりしていましたね。

萩原 母子家庭だったんですか?

大澤 私、母子家庭も父子家庭も両方経験あるんです。母子家庭のときは、母親がいろいろきつい仕事をしているのを横で見ていましたね。

萩原 中学生の頃に父子家庭になって、当時物流会社で働いていたお父様がリストラに遭うという……。

大澤 そうですね。なので、朝食で例えば目玉焼き2個だったのが1個になったりとか、ウィンナーが1本だったのが半分になったりとかがあって、その時に「不況っていうのは本当に従業員にとって大変なんだな」と身をもって感じていました。

逆境を抜け出すためには学ぶしかない
〜「役に立つか分からないけど勉強だけはちゃんとしよう」〜

萩原 これすごいのは、大澤さんって普段お話ししてもそういう暗さを感じないわけですよ。(そういう過去を)後ろ暗いって思っちゃう人もいるわけじゃないですか。それをこうして喋れるっていうのは、自分の背負った経験にちゃんと向き合って、次(に進んでいる)っていう。「ファーストジェネレーション」っていうの?

大澤 最近アメリカの大学でダイバーシティを表現する新しい指標の一つらしくて、親が大学に通ってない子どもが初めて大学に行く世代のことを「ファーストジェネレーション」と呼ぶそうです。私自身も親戚に大学に行ったという人もいなかったので、大学がそもそもどういうものか分からなかったところからスタートしています。

萩原 これまさに聞きたかったところで、普通は絶望しちゃうと思うんですよね、環境に。その状態から大澤さんは東京六大学で一番おしゃれと言われている立教大学の経済学部をご卒業されてますので。(立教大学に)行こうと思ったのはどこら辺からなんですか?

大澤 まず、大学に行くかどうかで言うと、自分の今の貧困状態を抜けるためには教育しかないと子どもの頃から思っていて、「役に立つかどうか分からないですけど勉強だけはちゃんとしよう」と思っていました。

水世 素晴らしい。

大澤 東京の大学というところで言いますと、地方の大学に行くことも考えたのですが、どのみち大学に行ったら奨学金とアルバイトで学費と生活費を賄うことになるので、時給が安い地方でバイトするか、時給が高い東京でバイトするかを考えて、時給が高くて仕事がたくさんある東京の方が安定しやすいかなと思って東京の大学を選びました。

学生時代にも不景気の影響を経験
〜いろんな地域の企業の役に立ち、経済的に豊かになれるような仕事がしたい〜

萩原 でも、お金ないでしょう? どうしようと思ったの、これ?

大澤 高校時代から学費は奨学金を借りていたので、大学卒業時点での奨学金の残高は多分1,000万以上ありました。それで大学に入学してからひたすらアルバイト三昧で。ちょうど入学したのが2008年だったんですけど。 

萩原 うわ!

大澤 萩原さんが驚いていらっしゃる通り、リーマンショックが来まして……。秋口に一気に派遣が無くなったり、仕事が無くなったりというのは、当時非正規労働者の立場でかなり感じました。通常大学って4年で卒業すると思うんですけれども、ところどころで学費が足りなくなってしまいまして、休学してお金を貯めたりしました。なので、大学の在籍は5年半です。

萩原 僕は4年生の終わりぐらいの時に合っているんですよね、最初に。そのときに某超有名な証券会社に就職が決まっていたのですが、結果的に就職しなかったんだよね。

大澤 そうですね。単位が足りなくて留年してしまったのが一つのきっかけではあるんですけれども、大学のゼミの先生だった山口義行に、この株式会社中小企業サポートネットワークに就職したらどうかと声をかけていただいて就職したというのが経緯ですね。日本のいろんな地域の企業のお役に立って、経済的に少しでも豊かになれるような仕事がしたいと思っていたというのもあります。

萩原 普通に考えると「これまでの貧困を見返してやる」とかなりそうだけど、そうならなかったのね。

大澤 そうですね。そこは結構、人生の分かれ道だったと思います。

貧困体験から学ぶ中小企業経営の『勝ち筋』①
積極的な情報収集と、情報の「自分事化」

萩原 それで今に繋がって僕らと出会うわけですけど、後半はこの大澤さんの目で見た中小企業の未来像みたいなことをちょっと話してもらいたいなと思います。

水世 それでは、後半は絶対的貧困体験から学ぶ中小企業経営の『勝ち筋』について、お話を伺いたいと思います。

萩原 大澤さんが逆境の中でここまで来た経験から、我々中小企業がどうやってこの逆境で勝っていくかということに繋がるエッセンスを伝えてほしいなと思います。

大澤 一つ目は具体的なことで申し上げますと、積極的に情報収集に取り組むことが大事かなと思っています。日々なんとなく生きていますと、なんとなく入ってくる情報でみんな行動選択をしていくと思うんです。自分でテーマを持って情報収集する姿勢というのは大切だなと思います。

萩原 これ、僕もスモールサンでよく話したりする「M&A思考」とも同じで、「自分事化しないと情報って流れていっちゃうよ」という言い方を僕はしていて、それと同じですね。

大澤 そうですね、同じです。私は「経済は天気で、経営は船の漕ぎ方」だと思っていて、嵐の方向に船を進めていくと大変なことになるので、「あっちの方に行くと大丈夫かも」という外の感覚を見るのが経済の情報で、「自分の船を実際にどうやってコントロールして行こうか」というのが経営の情報なのかなというふうに思っているんですね。山口義行は特に経済の情報を中小企業経営者の皆様にお伝えするというのが得意ですので、皆さんがどっちの方向に行くと嵐に遭わなくて済むかということをきちんと情報提供していきたいなという気持ちがあります。

萩原 なるほど。こういう情報収集をするために、大澤さんはどんなことをやってきたんですか?

大澤 (子供の頃)私の母親がですね、今じゃ考えられないんですけど、キーボードを印刷した紙をどこかから持ってきて、その紙に向かってブラインドタッチの練習をしている姿を見たんです。それで母親が「パソコンを使えるとデスクワークの仕事に就けるけど、パソコンができないから仕事に就けないんだ」ということを言っているのを聞いて、「これからの時代はパソコンを使えないと就職できないんだな」って子ども心に思ったので、積極的にパソコンを覚えるように努力してきました。

萩原 なんだろうね、要するに天気や船のせいにするなよってことだな、これ。漕ぎ方だろうって感じだよね。

大澤 自分の子どもの頃の感覚で言いますと、インターネットが中学生、高校生の頃から使えたので、どういう奨学金があるかですとか、東京ってどんな状況になっているかというのをかなり調べて、自分がどういう方法をとればきちんと大学を卒業できるだろうかというのは、相当情報収集しました。

貧困体験から学ぶ中小企業経営の『勝ち筋』②
自分の足元ではなく「自分がどの方向に行きたいのか」を見る

大澤 もう一つはですね、気持ち的な部分になってしまうかもしれないんですが、足元だけを見ないこと。

萩原 これ大事。

大澤 自分のこれまでの人生を振り返って見ますと、これ以上無理だと感じてしまうような、「目の前のことに追われている場面」っていうのはたくさんあったんです。ただその時でも、「どういう方向に行きたいのか」はきちんと意識して、どういう外部認識に対して、どう自分をコントロールしていくのかというのを諦めずにやってきたかなって思っています。

萩原 経営でもそうですよね。今見積もり作らなきゃとか言って、営業に行かなくなっちゃったり。将来を見ながら動かないといけないけど、どうしても目の前の仕事にとらわれちゃうよね。

大澤 スモールサンに入社した頃は、今みたいに外に出る余裕もなくて、事務作業に追われるような日々が続いていましたけれど、そういう生活の中でも「いずれ自分がどういうふうな仕事がしたいか」とか「どういうことにチャレンジしたいか」っていうのは忘れずにやってきたかなと思っています。

萩原 なるほどね。大澤さんは高校2年の段階で将来展望があったわけじゃない。情報を持って学習して、教育をもっとレベルアップしないといい仕事につけないって。スモールサンに入ってからできるようになったんじゃなくて、それを作れていたことが社会人になって生きていますね。

水世 たしかにそうですね。

萩原 だから、今あげてもらったことが、状況を逆転、改善するどころか、大逆転するためにめちゃくちゃ重要な二つの要素ということです。これは、普通に生きていく上でもそうだし、会社を経営していく上でもすごく大事なことだよね。情報をただ垂れ流しで聞くんじゃなくて、自分事としてちゃんと捉えていくということ。それと、将来展望をしっかり持って諦めないこと。この二つが重要だというのは、たしかにその通りだなと思いました。

水世 はい。というわけで本日は、絶対的貧困体験から学ぶ中小企業経営の『勝ち筋』というテーマでお話を伺いましたが、大澤さん、いかがでしたでしょうか。

大澤 今日は本当にありがとうございました。普段働いていると生い立ちのお話をする機会はないと思うんですけれども、私はこういう生い立ちがあるからこそ、今のスモールサンの業務や、社長の皆さんに伝えたいという気持ちがあるので、それを少しでも伝えられたかなと思うと嬉しいです。

萩原 いい話が聞けました、やっぱり。ありがとうございます。



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